コラム「開業成功への道」

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各種手続き

<開業前後の手続一覧>
・歯科医師会への「入会申込書」など
・保健所への「診療所開設届」
・市区町村などでの「各種指定医療機関申請(生活保護など)」
・厚生局への「保健医療機関指定申請書(施設基準に係る届出書を含む)」
・労働基準監督署への「労働保険 保険関係成立届」「労働保険概算・確定保険料申告書」
・ハローワークへの「雇用保険適用事業所設置届」「雇用保険被保険者資格取得届」
・税務署への「個人事業の開廃業等届出書」など

<開業前に準備しておいた方が良いもの>
・医院のルールづくり(理念・方針、業務フロー)
・接遇研修の実施
・就業規則の作成、助成金の申請
・ITツールの導入(予約管理システム、チャットツール、クラウドストレージ)
・クレジットカード決済やデンタルローンの導入
・保険の見直し(ex.借入保障、所得補償、歯科医師賠償保険)

咲き誇るための準備

暦の上ではとっくに春ということらしいが、コートを脱ぎ捨てるタイミングには毎年悩まされてしまう。横山が大きくため息をついて窓の外に目をやると、背を丸めたサラリーマン達が足早に通り過ぎていった。

喫茶店での相棒はミックスジュースと決めている。深煎りの香ばしい豆の香りが漂ういつもの店に朝から陣取り、横山は申請書類の作成に追われていた。4月1日から保険診療を開始するためには、3月10日までに保健所への手続、そして厚生局への手続を済ませる必要がある。協力業者に手伝ってもらう手もあったが、全て自分でやらないと気が済まない横山の性格が災いし、この差し迫った状況を生んでいた。

「マスター、ブルマン1つね」

大倉はまるで常連のような様子でオーダーすると、横山の前に腰を下ろした。

「大倉先生、朝早くからありがとうございます。今日が3月3日のひな祭りですから、開業までひと月を切りました。4月から保険診療ができないとなるのが一番怖いので、申請関係は今日中に提出してしまう予定です」

「今後のスケジュールはどうなってる?」

「来週から約2週間の開業前研修を行い、週末に3日間の内覧会を行えば、いよいよ4月1日の開業初日を迎えることになります。ただ、何か準備し忘れていることがあるんじゃないかと不安で…」

横山が口にした不安に対し、大倉はふんふんと一応の共感を示したものの、ようやく運ばれてきたブルーマウンテンの方が気になるようだった。抜群に愛想の良い店員が運んできた珈琲を口先ですすりながら、大倉は目を閉じ、奥深い珈琲の香りを噛みしめているようだった。

「二つ大事なことを教えてあげよう」大倉が語り出した。

「オープニングスタッフが辞めてしまう理由ってなんだと思う?」

横山は思いつくままに「院長が怖いとか、そんな理由でしょうか」と答えた。

「確かにそれもあるだろう。それ以外にも理由は様々あって、例えば…面接時に聞いていた条件と違う、院長の指示が不明確でどう動いたらいいかわからない、暇すぎてやりがいがない、スタッフに任せると言っておきながら口出しする院長への不信感、エトセトラって感じだ。オープニングスタッフは高いモチベーションで入社してくれる場合が多いが、院長との信頼関係が築けていない分、ちょっとしたことでモチベーションが下がってしまいやすい。院長はリーダーとしての背中を常に見られているという意識でいないといけないな」

横山は採用したスタッフ達の顔を思い浮かべた。彼女達が理解していることと期待していること、それと現実との間にギャップはないだろうか。研修期間はこのギャップを可能な限り埋めていく期間にしなければいけない、横山はそう思った。

「それともう一つ。人は誰しもそうだが、途中でやり方を変えるとか、追加でやることが増えるとなると反発したくなるもんだ。今後の長い医院経営の歴史の中でも、開業時というのは唯一といっていいほど院長の自由が許されるタイミングなんだ。最初から“うちの医院はこの方針でいく”と院長が決めてしまえば、スタッフも素直に協力してくれるはずだ。何度もいうが、途中でやり方を変えるために必要なエネルギーは尋常ではない。真っ白なキャンバスに自由にデザインできるまたとないチャンスを絶対に逃してはいけないよ。これは少しばかり先に開業をした先輩院長からのアドバイスだ」

勤務医時代のスタッフを思い出しながら、確かにそうだなと横山は頷いた。

「ところで、税務関係の手続きはどうしてる?」

「渋谷会計士からは今月中に提出すれば問題ないと聞いていますが、素案のチェックだけは済ませてあります」

「源泉所得税の納期の特例についても説明を受けたかい?」

「はい、毎月のスタッフ給与から預かる所得税って本当は僕が毎月納付しないといけないんですよね。それが“ノウトク(納期の特例)”って届出を出しておけばこれが半年に1度の納付でよくなり手間が省けるそうです。でも忘れたころにまとめて支払がやってくるから、資金繰りは十分注意するように、そう渋谷会計士から説明を受けています」

「さすが渋谷先生だな、あの人に任せておけば安心だよ」と大倉はブルーマウンテンをすすった。

「開業費についても聞いているかい?」

開業費についても渋谷会計士から詳しい説明を受けていた。開業セミナーの受講料や開業前の空家賃、開業に関する情報収集のための会食費なども開業費に含まれるという認識だった。

「大倉先生との食事代なんかもばっちり入りますよね」

「バカヤロー、食事代はほとんど俺のおごりだろうよ」

「そうでしたね…ところで、他に考えておいた方が良いことってありますか?」

大倉はアゴをさすって空中に目を泳がせると、横山の方に向き直って話し始めた。

「そうだな、就業規則と助成金については検討しておいた方がいいだろうな」

「就業規則はネット上で簡単なものを拾って印刷しておいたんですが、それじゃダメなんですかね?」

「就業規則は法律に従いながらも、各医院独自のルールを定めるものだ。抜けがあってもいけないし、実際との乖離があってもいけない。未払い残業、不当解雇…最近は労務問題が経営上の最大のリスクかもしれない。専門家である社労士の先生にちゃんとお願いするべきだろうな。助成金の申請にも関係してくるからなおさらだ」

「助成金、聞いたことはあります。どこかからお金がもらえるんですか?」

無邪気な子供のようなストレートな質問に苦笑いしながらも、大倉は丁寧に解説を返した。

「まあそうだな。平たく言うと、”返済不要で国からもらえるお金”のことだ。特に厚生労働省の助成金は歯科医院で使わないのはもったいない。従業員の雇用や待遇改善、教育なんかをした場合に支給されるんだが、従業員にしっかりお金をかけている歯科医院こそ胸を張ってもらうべきだと俺は思う」

横山は紙ナプキンに”助成金”としっかりメモを取りながら、情報というのは知っているかどうかで大きく差が出てしまうものだと痛感した。そして、大倉の口から次なる情報が出てくるのを期待し目線を戻した。

「それから保険の見直しもこのタイミングでしておいた方がいい。勤務医と開業医では背負うリスクが全く変わってくるからな。万が一の場合に多額の借入はどうするか、院長が入院した場合に家賃や人件費の支払はどうするか、リスクマネジメントが重要になる。その他に細かいところで言うと、治療費の決済方法についても検討が必要だ。クレジットカードの導入やデンタルローンの準備、このあたりを開業前に済ませておけば、開業後にバタバタせずに済む」

ふと店内を見回すと、モーニング目当ての客で席はほぼ埋まり、愛想の良い店員は慌ただしく接客に追われていた。まばらになった空席を見つめながら、やり残したことはないだろうかと、横山は最後の確認を行いながらミックスジュースを飲み干した。

※この内容は「Quintessence」2016年9月号掲載に加筆修正したものです。

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