コラム「開業成功への道」

  1. トップページ
  2. コラム「開業成功への道」
  3. 医療法人設立

医療法人設立

医院理念=診療理念+経営理念
<医療法人成りのメリット>
・節税効果(法人税と所得税の税率差、所得分散、給与所得控除)
・役員退職金の支給
・生命保険の活用
・分院展開が可能になる

<医療法人成りのデメリット>
・社会保険に強制加入
・小規模企業共済の脱退
・行政による指導監督の強化(決算届の提出義務等)

<医療法人設立手続の注意点>
・単なる行政手続だけでなく、税務戦略、人事戦略まで理解したプロに手続きを依頼すべき
・都道府県によってスケジュール、手続きが異なりローカルルールに従う必要がある
・医療法人成りの意思決定から実際の設立までには最低でも半年の期間を要する

北斗七星を道しるべに

午前の診療をちょうど終えたところへ、できたてほやほやの確定申告書を土産に携え、渋谷会計士が訪ねてきた。

「4年目にして念願の売上1億達成ですね」

売上1億という目標は当初2年目で達成する予定だったが、現実はそう甘くなかった。相次ぐスタッフの退職、頼りにしていた右腕Drの開業による離脱。売上は右肩上がりを続けていたものの、想定外のトラブルが起きる度に計画は下方修正を余儀なくされた。

週末の度に遠方まで様々なコンサルタントの話を聞きに行くものの、スタッフからは「院長はブレている」とむしろ不信感を買ってしまう始末。

「医院とスタッフのことを考えて必死にやっているのになんでなんだ」

開業直後が順調だっただけに自分の不甲斐なさを素直に受け入れることができず、全てを投げ出してしまいたいという衝動に駆られた時期も正直あった。開業してからの4年間、横山がいつものバーへ大倉を呼び出したのは一度や二度ではなかった。ただただ愚痴を聞いてもらう夜もあれば、時には具体的なアドバイスに救われる夜もあった。

「堅い殻を剥く作業がなければ、ピスタチオの美味さも半減してしまうと思わないか?」

こういう存在をメンターと呼ぶのだろうか。横山は大倉という精神的支柱があったおかげで4年間踏ん張ってこれたのだと強く感じていた。

「横山先生、もう迷いはないんですね?」

3年目の売上は8000万。この時点で渋谷会計士から医療法人化の提案は受けていたものの、まだ自信がないと躊躇していたのは横山本人だった。売上1億を達成したうえで、満を持して次のステップへと進みたい、それが横山の率直な思いだった。

「当初の予定より少し遅くはなりましたが、遠回りして学んだことも必要な経験だったといまでは思えるようになりました。いまなら一点の迷いもありません。スタッフを雇用し続け、地域医療に貢献し続け、医療法人を継続させていけるという自信が持てました」

渋谷会計士は覚悟のこもった横山の言葉を聞き、安堵の表情を浮かべ頷いた。

「医療法人のメリットに関しては前々からご説明していましたが、デメリットについても十分にご理解いただく必要があります」

そう言って渋谷は“医療法人成りのメリット・デメリット”と書かれた紙を取り出した。

「まず大きく変わるのが横山先生の給料。これまでは通帳に残ったお金は事業のために使おうが、趣味の為に使おうが、不動産投資に使おうが、言ってみればどうぞご自由にということでした。それが医療法人になれば決まった役員報酬の中でプライベートな出費はまかなっていただきます。横山先生は以前から固定でご自身の生活費を取られていましたし、特に問題はなさそうですね」

「それから、医療法人になると社会保険に強制加入となります。よこやま歯科医院さんの場合は、歯科医師国保&厚生年金というパターンですね。常勤スタッフが多いためすでに厚生年金には加入されていますので、これも大きな影響はありません」

大きな決断なだけに慎重だった。示されたレジュメのデメリットの欄に隈なく目を通しながら横山は念押しの確認をした。

「他にも何か気を付けておくべきデメリットはありますか?」

「最も大きなデメリット…それは渋谷会計事務所の顧問料が上がることですかね」

渋谷は得意気な笑みを浮かべていたが、横山にそれが冗談だとわかるまで数秒の沈黙を要した。

「医療法人設立の暁には、気持ちばかりのパーティーを企画して、これまでお世話になった方々に感謝の気持ちをお伝えする場にしたいと考えています」

ホテルの式典会場の前で、いつもと雰囲気の違う装いに身を包んだスタッフ達が受付対応に追われていた。医院の受付では絶対的な安定感を放つ相葉も、今日ばかりは少し勝手が違うようだった。

“よこやま歯科医院開業5周年記念 兼 医療法人北斗会設立記念式典”

身の丈に合わない気恥ずかしさを感じながら、理事長となった横山は会場へと足を運んだ。
決して広い会場ではないが、満面の笑みをたたえた人たちの祝福ムードで溢れていた。

横山は一人一人馴染みの顔を眺めながら、開業してからの5年間を思い返していた。
物件を紹介してくれた不動産屋の店主、アラシデザインの桜井、先輩Drの二宮、寿退社して一児のママとなった松本。会場の隅で静かに佇むバーのマスターの姿もあった。
顔を見るのは開業の時以来という者も多かったが、横山としてはこの機会に何としてでも直接会ってお礼を言いたい気持ちがあった。この中の誰か一人が欠けていても、あんな順調なスタートは切れていなかっただろうし、医療法人成りなど考えることさえできなかっただろう。心中に去来する様々な思いを胸に、横山は壇上へと向かった。

「皆様、本日はご多忙中にもかかわらずお集まりいただき、誠にありがとうございます。この度…」

話し始めたところで、入口のドアが勢いよく開いた。

「横山先生!挨拶がカタすぎるぞ!」

ホテルの従業員に制止されそうになりながら、いつもの調子で現れたのは大倉だった。すでに何杯かひっかけている様子だ。スマンと手を挙げる無邪気な大倉を見て、横山は一気に肩の力が抜けた。

「気を取り直しまして…本日こうやって開業5周年、そして医療法人設立のご報告ができるのも、ひとえにここにお集りの皆様のおかげと感謝しております。歯科医師である以上、いつかは当たり前に開業し、それなりに経営していけるものだと最初は甘い考えでおりました。しかし実際のところ、私は診療のこと以外は何もわからないただの世間知らずの若造でした。そんな私に、各分野の専門家の方を頼るべきだと教えてくれたのは、他でもない大倉先生です。医療法人北斗会という名前は、大倉先生の七星会にあやかってつけさせていただきました。まずは大倉先生、本当にありがとうございました」

会場中から自然と拍手が沸き起こった。集まった者の多くが、昨年末より大倉の体調が好ましくないことも知っていた。そんな大倉が横山に歯科医師として、そして経営者としての心構えを伝えようと必死だったことも、今では周知の事実となっていた。

「横山先生、今日ここにお集りの皆様には心底感謝しないといけないぞ!私はもう横山先生の教育係から卒業しようと思う。君はもう立派な経営者だ。あとはどうか皆様、この横山先生のことをよろしくお願いします!私からの最後のお願いです!」

末席から深々と頭を下げる両親、そして妻となった美穂の姿が目に映った。

開業は成功だったと言って良いだろう。しかし、現役の歯科医師としては残り30年、経営者としてはもっと長い人生が待ち構えている。この5年間で直面してこなかったような壁にも幾度となくぶち当たるはずだ。そんな苦しい時こそ、自分がどれだけの人に支えられているのかを思い出そう。そして思いっきり頼らせてもらおう。大倉先生のアドバイスに従って。

大倉は胸のポケットから重そうなペンを取り出し、25年前に描いたマインドマップに勢いよくチェックマークを入れた。

自分の中での北極星は、北斗七星が輝く限り見失うことはない。
親子ほども年の離れた二人の目には煌々と光る七つの星が確かに映っていた。

※この内容は「Quintessence」2016年12月号掲載に加筆修正したものです。

ページトップ