物件探し

歯科医院開業は立地が6割
<物件探しのチェック項目>
・立地の強みはあるか(駅前、ランドマーク近く、間口に広い1階、人だまりの交差点角地)
・わかりやすい(説明しやすい)場所か
・診療圏調査はあくまで参考、自分の足で情報収集し差別化を図る
・直近テナントの退去理由、近隣店舗の客の入り方を確認

<物件契約前のチェック項目>
・融資特約を契約に盛り込めているか、もしくは融資審査OKとなってから契約締結する流れか
・家賃は近隣相場と比べて高すぎないか
・看板設置に制約はないか
・十分な広さか図面を引いて確認しているか
・保証金やフリーレントの交渉はしたか

第二話物件探しは初恋の味

「横山先生、自分に嘘はついてないかい?」

横山は力強く頷いた。これほど自分自身と真正面から向き合ったことはかつてなかっただろう。壮大かつロジカルに整理された医院理念がマインドマップで表現されていた。

ウォッカマティーニを飲み干し、大倉がおもむろに話始めた。

「医院理念が明確になったら次は開業地選びだ。このマインドマップに書いてあるように、横山先生は下町風情の漂う駅前でのテナント開業をイメージしている。それは具体的にどの辺りか、目ぼしはついているのかい?」

「はい、急行の止まる渋谷駅の一つ隣り、安田駅がイメージにぴったりだと思っています。大学の時に付き合っていた彼女がその辺りに住んでいたもので・・・少しだけ土地勘があります」

照れながら横山が答えると、「そんなことまで聞いてない」と軽く突っ込みを入れつつ、大倉が続けた。

「ピンポイントで狙いを定められたのも医院理念のおかげだな。だが決して焦ってはいけないよ。まず立地選定が開業するうえでどれだけ重要か、少し話しておこう」

大倉の口にピスタチオが放り込まれるのを、横山はじっと眺めていた。

「歯科医院の開業が成功するかどうか、6割は立地の良し悪しで決まる。飲食店では7割とも言われているが、同じ店舗来店型ビジネスの歯科医院でもその重要性は大して変わらないということだ。残りの2割がそれを補填する外観、ホームページ、内覧会、看板などの広報戦略。最後の2割が診療時間や駐車場などの利便性だ。
口コミの元となる治療技術、丁寧な説明、最新の医療機器、スタッフの質、などはもちろん重要だが、実際に口コミが発生し来院患者数が増えるまでには半年ほどのタイムラグがある。つまり、スタートダッシュを決めるには口コミ以外の要因でいかに来院してもらえるかがキーになる」

横山も立地の重要性は十分に認識していたものの、6割という数字は思った以上に高かった。

「では実際にどうやって物件を探していけばいいでしょうか?」

「一般的には開業支援をしてくれるコンサルタントに依頼することが多いだろう。ただ今回のように候補地が明確に定まっている場合は地の不動産屋に飛び込んで探してもらうのも一つだ。その地域のことは地の不動産屋が一番良く知っている。横山先生、明日は休みだったよな?朝一で安田駅に集合だ!」

横山はピスタチオをゆっくり咀嚼しながら、大倉の行動力に負けまいと拳に力を入れた。

安田駅は通勤通学の人達でごった返していた。その流れに逆らうように横山は駅の改札をくぐり、甘酸っぱい思い出に浸りかけていたところで、腕組みしながら仁王立ちする大倉の姿を見つけた。
駅前には派手な看板を掲げる不動産屋がいくつか店舗を構えていたが、二人はその奥に見えた昔ながらの不動産屋をまずは当たってみることにした。

店の入り口をまたぐと、とうに還暦は超えているであろう白髪の店主が物静かに出迎えてくれた。

「あの・・・このあたりで歯科医院用のテナントを探していまして。条件は1階で30坪くらいで考えています」

白髪の店主は表情を少し緩めながらも「少し待っててくださいね」とだけ言い、奥の棚から資料をいくつか用意し始めた。

さっそく物件を見て回ろうという話になり、3件4件と案内されたが、横山がピンとくるものではなかった。間口が狭い、人通りが少ない、ビルが古い、など気に食わない点を挙げているうちに、求める物件の条件は逆に明確になっていった。

「次が本日ご案内できる最後の物件です。実はそのビルのオーナーとは昔から親しくさせてもらっていまして、いまは1階を事務所で使っておられますが、上階に移ってもらう交渉は可能かと思います」

店主の意味ありげな言い方が、横山に淡い期待を抱かせた。

「こちらになります」

横山は思わず大倉と目を見合わせた。交差点角地、スーパーの隣り、人通りの多さ、全ての条件が完璧に揃っていた。ビビっときたとはこういうことを言うのだろう、まさに運命的な出会いだった。

不動産屋の店主と別れた後、大倉の指示のもと、横山はまず知り合いの業者に診療圏調査を依頼した。さっそく翌日には調査結果が横山の手元に届き、まるで合格通知の封筒を開けるようにして、横山は資料に目を通し始めた。バーに流れる音楽が一瞬止まった。

“推計患者数合計 8人”

資料の見方が間違っているのではと、横山は何度もページをめくり直した。しかし、この8人という数字は紛れもなく予想される1日当たりの患者数を示していた。当然、1日8人の患者数では経営が成り立つわけがない。数日続いていた期待と興奮が一気に冷めていくのを感じた。

「なぜ・・・これだけ人口が多い場所で、こんなに厳しい数字が出るわけないじゃないか!?」

何度か調査結果を見返しているうちに、厳しい数字の理由がはっきりとした。診療圏内を示す地図上が歯科医院のマークで埋め尽くされていた。人口も多いが、歯科医院の数はそれ以上に多いことを意味していた。肩を落とす横山、その肩にバチンと刺激が走ったと同時に大倉の声がした。

「ずいぶんと落ち込んでいるようだな。診療圏調査の結果が悪い?競合医院の数が多い?横山先生が感じた運命、直観ってのはたかが数字一つで覆ってしまうくらいやわなものだったのかな?はっきり言って、この診療圏調査の結果は参考でしかない。その25あるという競合医院は本当に先生の競合になりえるのかい?」

「どういうことですか?」横山には大倉の言うことが全く理解できないでいた。

「その25ある歯科医院、もちろん院長の年齢も違えば診療時間も違う。患者数や患者層だって違うだろう。ほぼ廃業状態の医院だってあるかもしれない。つまり、横山先生の差別化の仕方によっては、競合医院が皆無となる可能性だってある。要するに、足を使って、各医院の情報を精査していく必要がある」

横山の表情に一気に力が戻った。

「各医院のホームページのチェック、待合室の様子、近隣への聞き込み、やることはいくらでもある。さらに開業地周辺の人の流れ、通行人の属性、曜日や天気による違いなんかを丁寧に調査していく必要もある。朝昼晩を一週間、最低20回は現場に足を運んでみたらどうだ?」

「20回ですか?!」

横山はそうとっさに返したが、大倉が決して冗談で言ったのではないことを悟り、わかりましたとすぐに言い直した。

「横山先生さえ納得したなら、オーナーとの交渉は俺に任せてくれ。保証金、フリーレント、融資特約、詰めなきゃいけないことはたくさんあるしな。それから融資のことも考えておく必要がある。“いい税理士”今度紹介するよ」

後に引けなくなってきたという心地よいプレッシャーの中、一気に飲み干したマスカットフィズは、ほのかに初恋の味がした。

※この内容は「Quintessence」2016年2月号掲載に加筆修正したものです。

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