診療時間・労務管理

<診療時間を長くすることのメリット>
・稼働時間が増える分、売上が上がり、固定費(家賃等)を回収しやすくなる
・夜間診療や休日診療自体が患者利便性を高め、差別化できる

<診療時間を長くすることのデメリット>
・早番遅番を作る必要があるなど、シフトが複雑化、非効率となる恐れがある
・夜間や休日の人員募集が難航するリスクがある
・勤務医がいなければ院長の休みがなく負担が大きい

<診療時間を短くすることのメリット>
・常勤のみでシフトを組めるため、常に同じメンバーが揃いチーム力が高まる
・単純なシフトを組めるため欠員補充が行いやすい
・スタッフの労働環境が良いため、採用が有利になり、定着率も上がりやすい
・キャンセル率や中断率が低くなる傾向がある

<診療時間を短くすることのデメリット>
・固定費(家賃等)を回収するための1時間当たり目標患者数が上振れする
・チェア台数が少ない場合は、スタッフ数が少なく、欠員時の混乱が大きくなる
・事後的な診療時間の短縮は比較的容易だが、延長はスタッフ理解を得にくく困難

愛がすべてさ、人がすべてさ

仕事終わり、腕時計の針は21時50分を指しているがコンビニの横で同じく煌々と明かりを灯している歯科医院が目に入った。

最近では夜10時まで、土日も診療している歯科医院は珍しくない。働き過ぎの現代人のライフスタイルを考えると、患者からは歓迎されているのだろう。
当たり前のことだが、より長く、より多く医院を開けた方が多くの患者を診られるし売上もあがる。開業してしばらくは、勤務医を採用することなど普通は考えられないのだから、働き詰めの院長1人にかかる負担は当然大きくなる。だが、相当な覚悟を持って開業を決意した横山にとっては、休みを取れることよりも、資金的な不安を払拭できることの方が大きなメリットであると感じていた。

「ワークライフバランス」

世の中ではそんな言葉がいたるところで叫ばれているが、いまの横山には所詮他人事にしか思えなかった。
「5000万もの借金を背負っての開業、まずは医院を軌道に乗せなければ家族だって守れない」
横山はそんなことを考えながら、コンビニの不愛想な店員から受け取った缶コーヒーで冷えた両手を温めていた。

そんな時、横山のケータイが着信を知らせた。大倉の元で働いていた時の先輩、二宮だった。

「横山、久しぶりだな」

二宮は学年こそ2つしか変わらなかったが、治療の腕と知識に関しては理事長の大倉も一目置く存在で、横山にとっては憧れの先輩だった。診療終わりで、その日の初診患者の診断に関するカンファレンスをしたいと大倉に自ら申し出るなど、向上心の塊のような歯科医師だった。そんな二宮が開業したのはちょうど1年前、開業祝いを届けたときの希望に満ちた二宮の表情を横山はいまでも鮮明に覚えていた。

「二宮先生、ご無沙汰してます。いままで診療ですか?働きすぎですよ~」

冗談交じりに投げかけた言葉だったが、横山の予想に反して二宮の返事は心なしか疲れて聞こえた。

「本当に働きすぎかもしれないな…。平日は夜10時まで、土日も夕方まで診療してるよ」

「ほぼ休みなしじゃないですか。でも、いざ開業するとなるとそれくらいの覚悟がないとダメですよね。僕も同じくらい働き倒す覚悟はありますよ!」

二宮の大きなため息が電話の向こうから聞こえた。

「夜間診療、土日診療は間違いなく患者ニーズが高い。長く診療する分、診れる患者数も増え、当然売上も上がる。俺も開業後3ヶ月で50万点を突破したよ。おかげでお金の心配はなくなった。でもな、診療時間をむやみやたらに長くするのは慎重に考えた方がいい…俺は19時半終わりに短縮して日曜診療もやめようと思ってる」

「なぜですか!?」横山は全く理解ができなかった。

「経営者の立場、患者の立場からすると診療時間は長いに越したことはない。一方でスタッフにとってはどうだろう?単純に労働環境が悪くなるだけだ。開業以来、毎月のようにスタッフが辞めていって、その度に10万単位の費用をかけて求人広告を出してきた。労働環境の良い医院に負けないように、給与水準もうんと高くしてな。それでも夜はどうしても衛生士が集まらない。仕方なく夕方からのパート助手で頭数を揃えたが、そのスタッフも数ヶ月後にはまた辞めると言ってくる。常に人の問題に悩まされるストレスは尋常じゃない…まさか診療以外の事でこんなにも頭を抱えることになるとはな」

電話の向こうにいるのは、かつて憧れていた二宮とは全く別人のように感じられた。初めて聞く二宮の愚痴に横山は黙って頷く他なかった。

何の役にも立たない励ましの言葉を贈った後、横山は大倉の待つファミレスへと向かった。人影まばらな店内、ハンバーグステーキとグラスワインでいい感じに出来上がった大倉を見つけると、今しがたの話をそのまま伝え、意見を求めた。

「歯科医院経営は人が全て」

大倉はそれだけ言うと残りの肉塊を大きな口に放り込み、ひとしきりの咀嚼を終えると語りだした。

「経営の神様と言われる松下幸之助も“事業は人なり”という言葉を残している。直接は客と接することのないモノづくりの世界でもそう言われているくらいだ。全てのサービスを人を介して提供する歯科医院ではなおさら人が重要になる。院長だけはしっかりとした医療を提供していたとして、もし他の全てのスタッフが不愛想で覇気がなくてダラダラ仕事をしているとしたら・・・その歯科医院の経営はどうなると思う?」

「歯科医院も確かにサービス業です。しかし、一番重要なのはやはり医療水準ではないでしょうか。患者も良い医療を受けに来ているわけで、少々スタッフの対応が悪いからといって患者の足が遠のくとは思えません」

大倉はグラスワインのおかわりを「今度は白で」とオーダーした。

「いくら三ツ星シェフのレストランでも、予約の取り間違いをされ、不愛想なウエイターに料理を運ばれ、トイレに清潔感がなく、帰り際に礼の一言ももらえないような店には二度と行きたくないがね。患者はすべての場面で合理的に判断してくれるだろうと考えてしまいがちだが、実は感情で判断する、判断されてしまうんだ」

「なるほど・・・」横山は日ごろの自らの行動を思い返し、納得せざるを得なかった。

「では大倉先生、二宮先生は人を大事にしていなかったということですか?」

横山が少し語気を強めて問いかけると、大倉はうっすら笑みを浮かべた。

「経営ってのはいいとか悪いとかそんな単純なもんでもない。どんな選択肢にもメリットとデメリットの両方がつきものだ。夜10時まで診療することで得られるメリットは患者の利便性向上、さらには売上アップ。一方、デメリットはスタッフの労働環境の悪化、複雑なシフトによるチーム力の低下や効率の悪化。デメリットをカバーする対策を事前に考えていなかったのが二宮先生の敗因だったのかもしれない」

「事前の対策というと・・・給料をうんと高くするとか、年に何回かは長期休暇を取れるようにするとかですか?」

「確かにそれも重要なポイントだ。ただ、人のやる気は目に見える報酬だけでは長続きしない。やりがいや達成感、患者や医院の役に立っているという感覚、といった目に見えない報酬も同じくらい重要なんだ。つまりは、自分が誰かから必要とされ役に立っているんだという“自己重要感”をいかにスタッフに持ってもらえるかどうか。ただ、これは決して簡単ではない」

横山は思考回路に小石が詰まってしまったような表情を浮かべ固まってしまった。

「大倉先生…僕はスタッフをそんなにうまく雇っていける自信がありません」

「それならそれでいいじゃないか。無理に診療時間を延ばして自分を追いつめるようなことはしなくていい。働きやすい環境を整備することだけを考えて、自分に足りないところはスタッフに補ってもらおうってくらいの気持ちでもいいんじゃないか?結果的にその方が売上も安定し、強い歯科医院ができたりするもんだ」

無理に肥大させていた心臓がすっと元の大きさに戻っていくような感覚だった。ただ、横山には一つだけ大倉に聞いておきたいことがあった。

「大倉先生の医院は夜10時まではもちろんのこと、365日休まず診療されていますよね?スタッフの労働環境としては最も厳しいように思います。そんな中でもうまくスタッフのモチベーションを上げ、良いチームを作られているんですよね?そのマネジメントのコツを教えてくださいよ!」

二人の間に静寂が流れ、はす向かいの席ではしゃぐ若者の声が耳障りに響いた。

「どんな経営者だって、人に言えない悩みや弱みの一つや二つ抱えているもんだ。いくら順風満帆そうに見えてもな」

白ワインを飲み干す大倉の顔が、年老いた父の顔に重なった。

※この内容は「Quintessence」2016年7月号掲載に加筆修正したものです。

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