キャッシュフロー経営

<キャッシュフロー経営の極意>
・キャッシュフローがプラマイゼロになる最低目標売上を逆算する
・理想の生活費を十分確保できる目標売上を逆算する
・材料費率、技工費率、人件費率などの経営指標を意識してコスト管理を行う
・「なぜかお金が残らない」の原因を明確にし、改善する

<開業後の留意点>
・開業後のスタッフのモチベーション、定着率が売上を大きく左右する
・院長だけが暴走してしまわないよう、後ろのスタッフを振り返る余裕を持つ
・売上アップに貢献するもの(チェア、人材)には積極的に投資する

花より団子、利益よりキャッシュ

薄紅色の桜が咲き誇っている。院長室の横山は迫りくる美しさに心を奪われながら、開業してからの怒涛の1年間を思い返していた。

期待と不安の入り混じった新入生のような気持ちで開業の日を迎えたのがちょうど1年前。内覧会の効果やスタッフの協力もあって、出だしは極めて好調だった。来院患者数は初月から1日平均20人を超え、月の売上は350万円。年明けからは定期健診の患者も増え初め、先月は目標としていた50万点を達成することができた。

「開業1周年おめでとう。あれからもう1年経つなんて信じられないな」

小さな花束を持って現れたのは大倉だった。この1年でまたひと回り恰幅がよくなったように見える。

「大倉先生、ありがとうございます。おかげさまで、患者数も少しずつ増えていますし、順調…なんだと思います」

「なんだか浮かない顔だな。1年目から50万点達成だなんて、誰が聞いてもうらやむ立派な数字じゃないか」

横山は渋谷会計士から報告を受けた会計資料を眺めながら、「確かにそうなんですが」と頭をひねっている。大倉は「ちょっと見せてみな」と試算表を取り上げると、首からぶらさげていた老眼鏡を慣れた仕草でセットし、熟読し始めた。

「なるほど。売上は上がっているのに、キャッシュが一向に残らない。それがそのさえない表情の理由なんじゃないか?しかも、なぜお金が残らないのかその原因もわからない。俺だったら不安で夜も眠れやしないだろうな」

先輩経営者である大倉の読みはぴたりと当たっていた。横山はほとんど休みなく仕事に明け暮れる毎日の中で、減り続ける預金残高に焦りと不安を感じていた。売上がいくらになればお金の不安から解放されるのだろうか…横山はそんな正体の見えない魔物と闘い続けているような感覚だった。

「キャッシュが残らない原因には大きくわけて2つある。1つは売上から経費を引いた利益がそもそも少ない場合。もう1つは、利益は出ているのにキャッシュが残らない場合。この試算表を見る限り、両方の原因が複合的に悪さをしているようだな。まずは1つ目の原因から見ていこうか。売上が500万もあるのに利益は75万しか出ていない。利益率にすると15%…これではさすがにお金は残らないな。渋谷会計士から何か指摘を受けていないかい?」

横山はノートを見返しながら、渋谷会計士から言われたことをありのままに話し始めた。

「まず技工代が高いと言われます。売上の10%以下が望ましいようなのですが、うちの場合は15%もあるんです」

「それは確かに少し高いようだな。納品書や請求明細のチェックはちゃんとしているかい?技工所も1社専属で院長がノーチェックの場合は、価格を釣り上げられたり返品の処理漏れをされたりすることがある。技工所サイドで問題がない場合は、保険点数の算定漏れがないかどうか、自費メニューの価格設定が適正かどうか、売上側のチェックもした方がいいだろう」

大倉は次に人件費に目をやった。胸ポケットから取り出した安物のカード電卓で人件費率を計算してみると“35%”と表示された。

「人件費率の基準値は個人医院だと20%前後。35%はずいぶんと高いように思うな。原因として何が考えられる?」

「衛生士の給料が高すぎるんでしょうか。時間帯によっては人が余り気味になることもあり、スタッフ数も多すぎるのかもしれません。みんな良くやってくれてるんですが、リストラも考えざるをえませんかね…」

外された老眼鏡の下から露わになった大倉の鋭い眼光を目にし、横山は一瞬たじろいだ。

「人件費率が高いと言われ、安直にリストラを考えるのは愚の骨頂だ。人件費率が高い要因は本当にケースバイケース。残業代が多い、シフトの組み方に無駄がある、衛生士が必要なのに助手しか採用できない、など上げればキリがない。ただ、人件費率は人件費を売上で割って計算するもの。つまり、人件費ではなく売上の方に問題があるのではと考えることも重要なんだ。思い当たる節はないかい?」

「実は時間帯によってはチェアが足りないことがあります。それに私も1日30人以上を診療するため、曜日や時間によっては急患を断らざるをえないケースあり、次回予約も取りにくい状況です。この点が改善できれば売上がさらにアップし、人件費率は下がるかもしれません」

横山は自分でそう話しながら、ボトルネックになっているチェア増設と勤務医採用が最優先課題であると初めて気が付いた。勤務医を採用して人件費が40万増えたとしても、売上を30万点増やすことができれば人件費率は27%まで下がる。横山はひらめきが消えないうちに頭の中で電卓を叩いた。

「モチベーションの高い優秀なスタッフが集まっていること、それは医院にとってこれ以上ない強みだ。いまのスタッフ構成でどこまで売上を上げられるか、それを考えるのが院長の仕事だと思う。適正な利益率にするための改善策はこれで明確になったな。だが利益が出るようになってもいまのままではキャッシュは十分に残らないと予想される」

横山はトンチを試されたような気がして、思わず聞き返した。

「利益が出ていれば、それがそのままキャッシュとして残るのではないですか?なぜ利益が出ているのにキャッシュが残らないなんて摩訶不思議な現象が起きるのか全く理解できません…」

大倉は院長室の窓から桜を眺めながら「黒字倒産、勘定合って銭足りず」とつぶやいた。

「黒字であってもキャッシュが不足すれば会社は倒産する。計算上は利益が出ていても実際はお金がない、それが当たり前のことだという認識が経営者には必要だ。利益とキャッシュの間にズレが生じる原因にはいくつかあるが、“経費にならずに出ていくお金がある”というのがその一つだ」

「経費にならずに出ていくお金…借入の返済などですか?」

「その通り。借入利息は経費になるが返済元本は経費にならない。税金や生活費だって経費にはならないがお金は出ていくよな。生命保険料や健康保険料などもそう。そう考えると、利益よりも実際に残るキャッシュというのは随分と少なくなってしまうんだ」

これまである程度の利益が出ているからと安心していたが、本当に重要なのはキャッシュフローを把握することだと横山は痛感した。利益が75万あるのだから70万は生活費で取ってしまって大丈夫だろうと考えていたが、実際は借入返済25万など諸々を差し引くと手残りは30万。税金のことも考えると生活費を到底取れる状況ではなかった。

「そりゃ毎月預金残高が目に見えて減っていくわけだ…。まだこのタイミングで気づけて良かったです」

「開業後1年での運転資金の追加融資となれば銀行にも難色を示される可能性があるが、設備資金であれば協力してくれるだろう。もちろんコスト削減も考えながら、チェア増設で攻めるべきだと私は思うね」

大倉の鶴の一声で横山の決心は固まった。さらに大倉は続けた。

「最低限必要な生活費、例えば30万/月を取るためには毎月いくらの売上が必要で、1日平均何人の来院患者数が必要か。理想的な生活費、例えば100万/月を取るためにはどうか。そんなシミュレーションを渋谷会計士にもしてもらうといい。何事も数値的目標がないと不安ばかりが募るからな。ところで横山先生、2年目、3年目の目標は?」

横山は現状を客観的に理解しながらも、臆することなく堂々と答えた。

「2年目は年商1億を目指します。そして3年目には医療法人成りをして、5年目までに分院を出したいと思っています」

開業前に描いたマインドマップの通りだった。来年また桜が咲くころに来るよと言って医院を後にする大倉を見送りながら、横山はまだ遠い目的地へ向かって一歩踏み出そうとしていた。

※この内容は「Quintessence」2016年11月号掲載に加筆修正したものです。

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